古くからの歴史が息づいた島
周囲26.3km、人口2500人程。鳥羽の離島の中では一番大きな島で、答志、和具、桃取と三つの地区に分かれています。
現在も一定年齢に達した男子を家に数名ずつ預かり、世話をする「寝屋子制度」が受け継がれています。寝屋子は食事のために実家に帰り、職業に従事するなどのほかは寝屋で過ごします。
寝屋親は親も同然。そして共に寝屋子となった若い衆は、生涯、義兄弟の縁を結び、冠婚葬祭はもとより、何事があってもすぐに駆けつけるとか。この制度は百年以上前から続き、一説には九鬼水軍がいざという時に船のこぎ手を集める際、人手を確保しやすかったことから始まったとされています。
この島には九鬼嘉隆の首塚、胴塚を始め、有力な豪族が葬られていたとされる古墳が点在し、平安期には答志郷と呼ばれていました。
島内には柿本人麻呂や西行法師の歌碑が建てられ、歌人たちに愛された島であることをうかがわせています。
「釧著く 答志先の崎に けふもかも
大宮人の玉藻刈る羅む」柿本人麻呂
「さきしまの 小石の白を 高波の
答志の浜にうち寄せてける」西行法師
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